スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
思考する人【劇場版公開前】 
 (元記事作成日:2010/09/08)

 来たるべき劇場版の公開に向け、
 先日から00のTVシリーズを一期1話から順に復習している私。
 二期のような派手さこそないものの、
 緻密に計算され洗練された一期の脚本が大好きで、
 その硬派な雰囲気にがっつり心奪われちゃってるここ数日でありますっ!!(*^o^*)
 
 ―そんな中、先日、一期11話の『アレルヤ』を鑑賞する機会を得ました。
 この11話、とにかくめちゃくちゃ印象深くて、鑑賞中も鑑賞後も、
 色々なことを考えずにはいられなくなります。
 それぞれ強いメッセージ性を内包する一期の他エピソードと比較しても、
 この回の存在感は、ちょっと圧倒的過ぎて…。
 気がつけば、いつの間にか全身全霊をかけて彼のことを想っている、私がいるんです。

 アレルヤ・ハプティズム。

 振り返れば、これまで私が彼について深く考える機会って、
 ほとんど無かった気がします。
 別に彼のことを軽視してるとか嫌っているとか、
 そういうわけじゃないんですけどね(^∀^;)私は00のキャラみんな好きなので!!(クラウスを除く)
 ただ、私は、自分でもちょっとどうかと思うくらい、
 セルゲイ大佐のことが大好きで仕方のない人間なので…(苦笑)
 二期の7話を境にアレルヤに対して複雑な感情を抱き、
 且つそれを整理する機会の無いまま今日まできてしまったことは、
 ある意味必然のことであったのかもしれません(ごめんよ、アレルヤ)
 
 でも、だからこそ、改めて一期の11話を観直した今回は、
 私にとってもちょうど良いタイミングっ!!(*≧∀')ъ
 普段言及することの少ない彼について、
 今日は思いっきり語ってみちゃおうと思います♪♪♪

 ※長文注意!

 人革連の特殊部隊・頂武によるガンダム鹵獲作戦の最中、
 敵軍のMSパイロットの中に、自分と同じ存在―超兵がいる事を感知したアレルヤ。
 兵士の人体改造を伴う“超兵計画”が今なお続いており、
 たくさんの子ども達がかつての自分同様、
 被験体としてその愚行の犠牲になっていることを確信した彼は、
 負の連鎖を自身の手で断ち切ることを決意します…。

 正直な話。私にとって、「アレルヤが今も生き続けている」という事実は、
 “想像だにしない事態”で。
 それゆえ、二期25話の最後のエンディングを迎えるその瞬間まで、
 いつ、彼が背負った大罪と引き換えに生命を落とすのだろうと、
 常にヒヤヒヤしっぱなしでした…(≧△≦;)
 その不安を呼び起こしているのは、アレルヤのある“罪”。
  
 誰よりもその“罪”の存在をを自覚する彼は、戦後、
 トレミーから降り巡礼の旅へと旅立ちます。
 
 しかしながら、人を殺すこと以外にも“罪”の形はたくさんあって。
 そういう意味で、人は誰しも大小問わずなにかしらの罪を背負いながら生きています。
 00という物語の中で、アレルヤだけが特別に罪を負っているというわけじゃない。
 人が人である以上、たったひとつの罪も犯さず生きていくことなど、
 きっと誰にも出来はしないはずたがら。
 ―そう、頭で分かっているにもかかわらず、
 私はどうしてもアレルヤというキャラクターを想う度に“罪と罰”という概念を、
 そして“罰としての死”という結果を思い浮かべずにはいられないんです。
 
 その根底にあるのは、やっぱり、一期11話の『アルルヤ』…。

 負の連鎖を断ち切る為、
 苦悩の末に血の滲むような想いでアレルヤ自身が選び取ったその“答え”について、
 今さらその是非や善悪を論じるような真似をしようとは、私は思っていません。
 論じてみたところで、明確な解答などありはしないでしょうから。
 ただ、ひとつだけはっきりしていることがあって、
 それは“アレルヤが超人機関の子ども達を殺した”という事実。
 たとえその行為に至るまでに、
 或いはそれを行っている最中に彼がどれほどの葛藤に苛まれ
 絶叫に喉を灼いたのだとしても、
 目に見える形として残っていない以上、
 その壮絶極まりない過程も、
 結果しか知りようが無い者にとっては何の意味も持ちはしなくて。
 だからこそ、超兵であるソーマは多くの同胞の生命を奪ったE-57のことを、
 ただただ憎んだ。
 アレルヤが、どれほどの想いでそれを為したかを知らないままに…。

 アルルヤは確かに、罪のない子ども達の生命を―未来を奪った。
 “罪”と呼ばれるしかないその行為は、
 しかしながら一方で、
 身体と脳を弄くり回される苦痛と絶望の中で生き続けるしかできなかった子ども達を、
 生というしがらみから一瞬で解放しもしました―。

 それを為す瞬間。

 負の連鎖を断ち切る、言葉にすればただそれだけでしかないはずなのに、
 いざその鎖にかけた手は、生じた迷いゆえに動きを止めて。
 そしてアレルヤは、相反する二つの思考の間で、思考します。

 彼らを保護し育てるという選択。
 保護したところで、現実的に育てることができるのかという疑問。
 今この瞬間、確かに鼓動している彼らの心臓―生命。
 この先、彼らを待つであろう過酷で残酷な運命。
 人を殺したくないという、単純な願い。
 生き延びたいという、本能。
 
 「撃ちたくないんだぁぁぁっ!!」という絶叫。
 引かれたトリガーの引き金。
 「よくやった」と、吊り上がる口端。
 頬を伝い落ちる涙―。
 
 そんな一連の流れを、アレルヤの苦悩をまるで自分の痛みのように知っている私は、
 改めて思うんです。
 アレルヤのこの行為について、是非や善悪を問うのは出来ない―いや、したくない、と。
 ただ、同時にこう思わずにもいられなくて、胸が締め付けられるように苦しい。
 ―アレルヤはいつか、この“罪”に見合う“罰”を受けるだろう…。

 不思議ですよね、武力介入の大義のもと多くの生命を奪った点は、
 他のマイスターズも同様であるはずなのに、
 アレルヤほど“罪”のイメージって強くないんですよ。
 でもそれって結局、超人機関への攻撃というバックホーンこそが、
 アレルヤに“罪と罰”の概念を纏わりつかせている
 最大の要因であることを証明していますよね。
 
 誰もが知っているように、他人に対して優し過ぎるぐらいに優しいアレルヤ。
 そんな彼の肩に、歪んだ世界が背負わせた荷物の、なんて重く、
 そしてなんて悲しいことでしょうか―。
 人体改造、超兵、脱走、仲間殺し、テロリスト、
 そして再びの仲間殺し、拷問、“罪と罰”…。
 思わず目を背けたくなるような、いっそ忘れてしまいたくなるような、
 禍々しいそれら…なんですけど。 
 
 ―それでも、アレルヤは必死に生きているんです。
 生きて、そして思考している。

 二期の最終話のエンディングで、
 あるいはドラマCD④や『アナスタシア』のワンシーンで、
 ふとした瞬間に「考えている」という言葉を口にするアレルヤ。
 今までの私は、特にその言葉を重要視することもせず、聞き流していたんですが。
 00という物語を50話全て見終えた上で、
 今回改めて一期11話の『アレルヤ』を視聴した結果、
 この「考えている」という言葉に対する印象が結構劇的に変わったんです。
 
 思考を放棄することは、簡単です。
 心を閉ざし、世界から目を背け、自分の殻の中に閉じこもってしまえば、
 それでいいんですもん。
 あとは外界に遮断された“自分に優しい”世界の中で、
 甘美な夢想の海を漂っていれば、そこには苦痛も絶望も、
 なにもありはしないんですから―…。
 
 先に述べたように、
 アレルヤの人生には、『アレルヤ』に象徴されるように
 始終辛い出来事や哀しい事件が起こり続けてきました。
 ―そんな、ともすれば生に絶望し尽くしてしまいそうな状況の中で、
 しかしながらアレルヤは心を閉ざすことなく、思考を放棄することなく、
 不器用ながらも必死で生きてきた。
 そして今も、生き続けている。
 最愛の女性の幸せについて考えながら。
 自身を取り巻く世界について考えながら。
 そして、自身が負う“罪と罰”について考えながら―。
 
 “優しさ”という言葉を持ってして語られることの多いアレルヤは、
 その優し過ぎる性格ゆえに、
 劇中でも損な役回りを演じることも多く。
 二期ではあまりの活躍の少なさに「電池」なんていう不名誉なあだ名までつけられることもありました…。
 でも、そんなアレルヤ、決して優しいだけの人間じゃないと、
 そう私は思っています。
 彼は、優しいと同時に、すごく強い。

 だって、彼は“考え”続けている。
 
 アレルヤにとって、思考によりもたらされる苦痛は、他の人よりずっと大きいはずで。
 にもかかわらず、自分自身から、そして世界から逃げることなく、
 向き合うこと、考えることを選んだ、アレルヤ。
 自身に苦痛を強いるその生き方は、決してスマートなものではないのでしょう。
 もしかしたら、ある意味それは、彼の“罪”に対する“罰”であるのかもしれません。
 ―それでも、敢えてその道を行く彼は、本当に、本当に心が、強い。 
 
 二期25話のエンディング。
 マリーと共にトレミーを降り、巡礼の地を巡る旅人となった彼の姿を、
 滑稽なものとして捉えた人もいるかもしれません。
 CBとして戦い続ける道を選んだ他の面々と比べれば、
 アレルヤのその決断は、いささか異質な部類のものでありましたから…。
 ―でも、私はこのラストで良かったと思っています。
 だって、すっごくアレルヤらしいんですもん!!
 
 彼の負った“罪”は確かに重い。
 どれだけ考え続けたところで、明瞭な答えには辿り着けないかもしれない。
 それでも、悩み、もがき、そして“考え”続けるというそれらの行為は、
 アレルヤが今を生きているからこそ出来る、尊いこと。

******************

 いよいよ来週末に公開が迫った劇場版。
 一度はトレミーを降りたアレルヤが、
 どんな決意を持って再度ガンダムに乗り、そして戦場へと赴くのか。
 ―彼が何を“考え”、どう生きていくのか―。
 しっかりと見届けてきたいと思います。

 
 願わくば。
 幾度にも重ねられた思考の末、
 どうか彼が心の底から「アレルヤ」と言える日が来ることを。

関連記事
 

秘密にする

 
トラックバックURL
http://grhm2307.blog.fc2.com/tb.php/116-b5875647

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。