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劇場版ガンダム00 Amazon投稿レビュー『全てが収斂されたラスト』 

 いつも当ブログにお越しいただいている皆さん、本当にありがとうございます。

 そして、初めましての方も、ようこそお越しくださいました。
 拙い文章ばかりの当ブログではありますが、
 どうか今後もご贔屓にしていただけると嬉しいです^^

 さて、現在絶賛放送中のガンダムビルドファイターズも、
 いよいよ来週の最終回を残すのみとなりましたね!
 ご覧のように、当ブログでも初回から感想記事を掲載し続けてきましたので、
 いざ終わりが視野に入ってくると、
 長年連れ添った友人と別れるような寂しさが湧き上がってきて…。
 某乙女座みたく、センチメンタルな気分になってしまいます><
 巷では二期やら映画化やらの話が出ているようですが、
 公式なアナウンスがあるまでは信じるわけにはいきませんからね。
 私に出来るのは、
 どんな形であれセイとレイジの物語が今後も続いてくれるのを祈るだけです。

 閑話休題。
 最近でこそBFの話題が多い当ブログですが、
 本来は00のファンブログなんですよ、この「新・00をひとりごつ」は。
 実際、BFの合間を縫うようにして細々と00二期の感想記事をUPし続け、
 先日ようやく最終回である『再生』の感想を掲載するに至りました!
 これも、数こそBFに劣るものの、
 00関連のワードで検索して当ブログを訪れてくださる方々の存在があればこそです。
 自分が大好きなものを、同じように大好きでいてくれる人たちがいる。
 これほどまでに励みになることも他にありません。
 本当にありがとうございます。

 その00、二期の感想を一通り掲載し終わりましたので、
 満を持して劇場版の感想記事公開ミッションへと移行したいと思っています。
 (二期の感想ところどころ歯抜けになってるとか、
  そもそも一期の感想がひとつもないんだけどとか、
  そういう指摘はご容赦ください…;;;)
 
 といっても私の劇場版の感想、ぶっちゃけものすごーーーく長くて。
 今のところ、数にして10前後の記事に分割しての掲載を予定しています(長っ!?)
 内容もひとつひとつのシーンを取り上げ延々言及してて、
 自分で言うのもなんですが、若干、というかかなりクドいんですよ。
 なので、一足先に軽めのジャブのような意味合いで、
 かつて私がAmazonに投稿した劇場版00Blu-rayの商品レビューを、
 こちらに再掲載したいと思います。
 今後UPしていく予定の感想記事とは異なり、
 このレビューは作品全体に関する私の想いをまとめたものになりますので、
 文字数的にもそんなに長くないかと…(あくまでも相対的な評価ですが…)

 というわけで前置きが長くなりましたが、
 以下の追記に『劇場版機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer―』の
 Amazon感想レビューを畳んでおります。
 主観まみれの駄文ではありますが、興味がある方はどうぞご覧ください。

 

【全てが収斂されたラスト】(元記事作成日:2010/12/27)

 TVシリーズ50話はもちろん、
 ドラマCDやコミックスといった各媒体でのメディア展開など、
 幾多ものエピソードの糸を撚り合うようにして紡がれてきた00の物語は、
 “人類の外宇宙への進出”という壮大且つ雄大なスケールのエンディングをもって、
 一作品としての完結の瞬間を迎えました―。

 作品自体、そして特に終盤の展開に賛否両論あるとは思いますが、
 少なくとも私は、あのラストシーンがあったからこそ、
 この劇場版と、そして00という物語そのものを、
 これまで以上に愛おしく感じることができました。
 
 確かに、エンディングロール以降のラストシーンは、
 単体のエピソードとして見ればいささか唐突だったかもしれません。
 しかしながらその実、
 00が首尾一貫描いてきた主題―「相互理解」について非常に巧く収斂させており、
 作り手の強い意志を感じさせる出来だったと私は確信しています。

 というのも。
 
 00は、刹那(ソラン)の物語でした。
 劇場版視聴後もその印象は変わらず、むしろ時間と共に深まり続けていますが、
 00の全てを振り返る時、私の胸にはこんな想いも浮かぶんです。
 ―00は、イオリアの物語でもあったんじゃないか…と。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
  
 この劇場版、エンディングロール後の数シーンが私たちに見せてくれたのは、
 00という物語の起点と終点でした。
 
 ―イオリアの胸に在った「“人類”を“分かり合わせたい”」という願い。
 そして、
 ―「“人類”が“分かり合えた”」ことにより成し遂げられた、
 外宇宙進出という歴史的快挙。
 
 この始まりと終わりの狭間―“イオリア計画”の中で、
 人類は分かり合えぬが故に時に争い、戦い、殺し合い、憎み合った。
 と同時に、分かり合えたが故に友情を育み、笑い合い、そして愛し合った。
 刹那はもちろん、マイスターズやCBの面々、
 或いは彼らと対立した人たちでさえ誰一人例外なく、
 人類が相互理解を成す為に在ったその時代の中で、
 自分の信念と命を燃やし、全力で生きた。
 TVシリーズと劇場版が描いた00の全てエピソード―線によって、
 連なりながらも時間軸の両端に位置した2つのシーン―点と点―始まりと終わりが、
 しっかりと結びつけられた。
   
 私は上で、「00はイオリアの物語でもあったんじゃないか」と書きましたが、
 きっとそれは表現として正確ではないのでしょう。 
 壮大な計画の立案者であり、
 天才の視点をもって世界を俯瞰したイオリア・シュヘンベルグ―…。
 ―「彼の存在こそ、00の物語“そのもの”だった」―。
 イオリア計画の終点であると同時に新たなる希望の象徴でもある巨大な艦。
 今まさに外宇宙に旅立たんとするその雄姿によって呼び起こされた感慨は、
 “人類”という枠組みを扱った作品の完結に相応しい質量を伴い、
 ずっしりと重く強く私の胸に迫ってきて。
 00―イオリアの物語の幕引きとしてこれ以上のものが他にあるはずもないことを、
 私に確信させてくれました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++;

 同じ頃、
 ひっそりと終止符が打たれようとする、
 もうひとつの物語―「人」と「人」との物語がありました。
 それは刹那の物語。
 
 “人類”が出した答えを見届け、新たな時代の胎動を奏でる宇宙。
 …その華やかな空間から遠く離れた地上で、
 刹那とマリナ様は、静かなる再会を果たしていました。
 それは決して、劇的とは言えず。本当に、穏やか過ぎるぐらい穏やかで。
 彼らの他には誰も知る者もいない物語。
 人類の歴史と比べれば、あまりに他愛無い物語。
 
 外宇宙への進出を、果たす。
 それは“人類”が“分かり合えた”故の成果。
 ―そんな中、時代の後塵を拝す形で、
 ようやく“分かり合い”の時を迎えた刹那とマリナ様。
 
 永い時間がかかった。
 生まれ育った環境が違った、考え方も違った。
 同じものを求めてはいても、その為に選ぶ手段は対極に在った。
 すれ違ってばかりだった。
 「分かり合えた」の言葉と共に互いの身体に回した腕でさえ、
 片や金属の光沢を放ち、片や老婆のもの―。
 “同じ”であるとは、お世辞にも言えない。
 あまりにも違うことばかりだった二人。
 ―それでも、確かに、「分かり合うことができた」。
 
 それは難しかった。
 困難だったが故に、人類の相互理解にすら、遅れた。
 でも。だからこそ、尊い。

 “人類”が“分かり合う”こと。
 可能性に満ちた壮大なその概念を一本の木に例えるならば、
 その大木を支えている根にあたるものこそが、
 “人と人”とが“分かり合う”こと―。
 ―刹那が、そしてマリナ様がそれぞれに求め、
 互いの存在の中に見出したように…。
 
 “00=イオリアの物語=人類の相互理解”

 “刹那の物語=人と人との相互理解”

 “分かり合うこと”という難解なテーマを、
 “人類”と、“人と人”という二つの枠組を用い
 シンプル且つ全力で描き切ったラストシーンには、
 疑いようもなく、00の全てが収斂されていました。

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